南米の焼肉アサド/”アサド”について

アサドは南米南部に居住していた”先住民ガウチョ”から伝播したアルゼンチンをはじめとする南米南部を中心に食される「ゴツめに捌かれた肉を堪能する焼肉料理」のことを一般的には指す。

私たちのようなアルゼンチンにとっての外国人の場合、レストランで注文することがアサドへありつくための一番の近道である。レストランで食べるアサドは、当たり前だがお金を払えば食べることができ、小洒落ている場所では子山羊や子羊が丸焼きされる過程を見ることができたりするのだが、基本的にはなんの変哲もない美味く分厚いお肉料理である。

一方、一般家庭でのアサドに目を向けてみると、脈々と受け継がれる”ガウチョ”の精神を垣間見ることができる。

一般家庭でのアサドは、複数世帯や友人間で行われることが多い。まず、主催者の負担でスーパーで売られているごっつい牛肉や、時には精肉店で子山羊や子羊を丸々購入する。次に、調理は肉の解体をし、庭でアサドールと呼ばれる調理道具を用い、分厚い肉をbrasaと呼ばれる弱い炭火で調理するため、男性陣は2時間以上肉に付きっきりで肉の角度や火の面倒をみる。その解体から火のお守りからまで男性がすべてを行う。女性は肉の調理には関わらないだけではなく、調理中の肉には男性陣の聖域かの如く近寄りさえもせず、リビングやダイニングで団欒したり、片手間でサラダなどを準備する。ようやく調理が終わり、席について肉を食べ始めるとどこからともなく

「我らが素晴らしいアサドール(アサドの調理者)へと盛大な拍手を」

という賛辞とともに拍手が聞こえてくる。

そのような一般家庭でのアサドでは、肉を分け合うときのホストとゲスト(ガウチョの時代でいうところの動物を狩り調理する人ともらう人)の明確な関係や性別分業がガウチョの頃からの名残として垣間見ることができる。
そんな先住民からの文化の形式が現代性と擦り合わされながらも精神性がそのまま引き継がれている稀有な食文化「アサド」に興味を持ち、2019年下半期の半年間家庭のアサドを食べ続けた。

そして、現在アサドに関する論文を恩師との協働で書いているのだが、論文という客観的な事実を主軸としたフォーマットでは(自分の力量不足で)細かい発見や興味が掬いきれていないことをもどかしく思い、実際の興味や体験を記録すること、少し主観的にアサド興味を掘り下げること、そのうち日本でやるアサド仲間を増やすことなどなどを目指してメモや記録を公開する。

まずは、アサドがそもそも何なのかということと、自分の興味を整理したい。

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アサドとガウチョの歴史は16世紀にまで遡る。
アルゼンチンは、1516年にスペインの探検家フアン・ディアス・デ・ソリスに発見されて以降、植民地化が進んだ。

1580年に現在の首都であるブエノスアイレスが再建されるのだが、食糧難に加え、南米の他地域にある産業(ボリビアのような豊かな鉱山資源をもつ鉱山や南米で多く生産されるカカオや砂糖)のための土壌がなかったため、ブエノスアイレスとウルグアイの境界であるラプラタ川沿いの草原地「パンパ」にえいやっと牛や馬を放流させたところ、うまいこと大量繁殖し、産業を支えることとなった。

大量繁殖した牛のおかげで食糧難を乗り越え、さらには牛や馬の革製品などがブエノスアイレスを支える産業となり、アルゼンチンの文化・アイデンティティに大きな影響を与えている(現在どこのお土産屋さんでも「取っ手と刃を皮で覆ったナイフ」が売られていることからも肉と革製品が国のアイデンティティとして捉えられていることがわかる)。

そして、17世紀ごろに現れるガウチョは、馬や牛が大量繁殖しはじめたラプラタ地域沿いに移住してきた農業移民のスペイン人と先住民の混血民族である。

17世紀初頭は、農業移民としての役割を全うしていたが、インディオとの抗争の中で徐々に農業を忘れ、ラプラタ地域沿いに大量繁殖した牛を追いかけることで生計を立てることとなっていった。同時に肉をコミュニティ内で贅沢に調理し共有するアサドがガウチョの文化として確立されていった。ラプラタ地域沿いで発生したガウチョは次第にブラジル、ウルグアイなど豊かな草原地帯を持つ近隣国家へと伝搬しやがては南米南部全域へと広がっていった。

遊牧民的な生活をするガウチョにとって、「肉を共有する」ことが”互酬性”の関係を築き、共同体を持続していくために不可欠であった。「狩った肉を共有する範囲」=「共同体の範囲」として認識され、アサドは栄養を採ることだけを目的とする食事とは一線を画したものとなっていた。また、アサドの調理には狩猟者である男性のみが関わり、「性別分業」や「与える・与えられる関係」を明確にすることによって共同体の秩序を保っていたと考えられる。

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一端ではあるが、アサドがアルゼンチンに浸透した歴史を上記にまとめた。
私の興味は食文化の栄養を採るという功利的な側面よりも、そこに見え隠れする脈々と受け継がれてきた風習や、コミュニティの維持という社会的な役割が市場経済化の中でどのような変遷をたどっているかなどに興味がある。具体的には、

1.南米の異民族間のコミュニティの切断と文節:
南米大陸ではインフォーマル市街地(スラム地区など)が、移民の受け皿となっており国境を超えた他民族の受け皿となっている。大陸単位での文化であるアサドを介すると、多様な民族間のコミュニティの繋がり目と切れ目をみることができるのではないかということ

2.肉をわけるという行為の持つ人類学としての現代的な意味合い:
例えば、アラスカ州のイヌピアットのコミュニティではホッキョククジラの肉とマックタックの分配するという行為そのものが共同体のウェールビーイングに寄与しているらしい。また、近年アルゼンチンでは思春期の子供が家族とアサドをしたくないために「ビーガン」を選択し、家庭崩壊の一因になっているのが小さな社会問題となっている。

3.アサドとアイデンティティの変遷:
「クリオーショ(criollo)」という真正なアルゼンチン国民像を提示する言葉がアルゼンチン人の用いるスペイン語にある。アサドを焼く男性を「クリオーショ・アサードール(アサドをやく男)」と表現され、アサドと国民像は表裏一体のものとなっている。一方、移民国家のアルゼンチンでは、例えばアルゼンチン独立100周年を記念してアルベルト・ヘルチュノフによる著「ユダヤ人のガウチョ」など移民に対してもオーセンティックなアルゼンチン人のイメージを表現するものがある。

先住民から受け継がれる食文化は、食べることの根源的で文化的な意味を示唆しているように感じている。

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