国際芸術祭あいち2022の感想

国際芸術祭あいち2022(Aichi Triennale)に行ってきました。トリエンナーレなどの芸術祭は、どうも作品の理解が難しいなあと思っていたため、それほど積極的に行っていませんでした。あいち2022は知り合いの方にとてもお勧めされたので、重い腰を上げて行ってきました。結論、とても面白かったです。素直に行ってよかったと思いました。
体験がほくほくしている間に、印象に残ったアーティストや作品について感想を書き記しておきます。アートについての感想はあまり書きなれないので、今回は出展していた一人の作家Liliana Angulo Cortésについて焦点を当て感想を書いてみます。多少稚拙な感想になってしまいましたが、悪しからず。

Liliana Angulo Cortésは、コロンビアのボゴタ生まれ、人類学の修士号を取得されているアーティストです。人類学と南米に興味がある私にとっては、クリーンヒットなアーティストです。今回、彼女は映像作品2点とインスタレーション作品を1点発表していたのですが、インスタレーション作品”Quieto pelo”(英訳するとQuiet hair)が特に面白かったので、そちらについて感想を書きます。Quito peloは、コロンビアの女性の編み込みの髪型を記録した写真展示と三つ編みを展示室中に張り巡らることによる構成です。Quieto peloを意訳すると、沈黙の髪型と言えます。彼女の作品は、16世紀にアフリカからラテンアメリカに、-主にプランテーションのため-連行され、奴隷的な扱いをされていた人々が”髪の編み込み”によってコミュニケーションをとっていたことに着眼しています。連行されたアフリカの人々は、髪の編み込みによって、管理者達に知られずに、労働地からの逃亡の合図や逃亡の経路までも共有していたそうです。Lilianaによる作品は、コロンビアの女性を中心に焦点が当てられていますが、その他の地域でも、奴隷制度に対抗するための編み込みによる慣習はみられたそうです。汎用的で日常にありふれるものを用いた行為や工夫は、大きな力を持ち広がっていくことは想像に難しくありません。例えば、モダニズム建築は産業革命によりどこでも生産できるようになったガラス・鉄・コンクリートを用いることで凄まじい広がりを見せましたが、髪型はどこでも誰でもアクセスできるものの究極系であり、どんな地域にいてもそのやり方ができることは簡単に想像できます。更に、”髪型”という汎用的で誰もがアクセスできるものの中に、”編み込み”というフィルターを用いることで、メッセージの制作や解読に参加できる人をアフリカ人のみに限定しています。そのやり方は、本当にシャープだと思いました。アフリカの人々は、アフリカ大陸の厳しい直射日光や紫外線に頭皮が耐えうるようにチリチリした髪の毛の遺伝子を持つと言われています。日常的に行われるチリチリの髪の毛を束ねるための編み込みを活用することで、他地域の方には真似しづらく気付かれないコミュニケーションを行ったわけですね。
近年、人種の違いに関するトピックとして、差別に焦点が当たりがちですが、人種の違いをある種のポジティブな方面に利用した事に焦点を当てたLilianaの作品が示すものは大きいように思います。また、この作品は16世紀に始まった慣習に焦点を当てていますが、現代の私たちの暮らしに示唆するところはとても大きいです。例えば、情報化社会が成熟する中で、社会主義を目指す国々を中心として個々人のデータは国や企業の手によって管理・監視され、自由が奪われている事態が既に起こっています。Lilianaの作品は、過去の奴隷制度への反抗の手段を紹介するだけではなく、今日希薄になっているフィジカルな物を用いたコミュニケーションの重要性についてまでも問い直しているように感じました。

 

PAGE TOP