保見団地/保見団地の隣人

文化人類学者の小川さやかさんが「広研」に寄稿したエッセイ「ジュマのアリバイ」で語られる近隣住民同士の信頼の築き方がとても示唆的で、なるほどと思った。
エッセイでは、小川さんがタンザニアのムワンザ市のニャマノロ地区にてボロボロのコンクリート長屋に住みながら調査をしていた頃起きた出来事から、近隣住民同士の信頼関係がどのように築かれているのかを体験した話が綴られている。ニャマノロ地区の長屋は、小川さんのような外国籍者でも住めることなどから様々なルーツを持った住民が住まい入退去が激しいこと、そして長屋に住むことは見知らぬ隣人との関係性を持たざるをえないことが想像される。その長屋にて見知らぬ隣人を”信頼しない”ところから始め、少しづつお願い事などを通して信頼できる範囲を広げていき、良き隣人関係をつくるという彼ら・彼女らの
知恵について記されていた。

私は2021年の始めから、兼ねてより興味のあった愛知県豊田市の「保見団地」に入り込みプロジェクトに関わっている。居住者は多国籍のルーツを持つ人々が入り乱れており、隣人関係が一筋縄では行かないという話が後を絶たないようで、実際に住んでいる人に話を聞いてみると想像もしていないような斜め上のトラブル話が出てくる。切実でどうしようもないトラブルや状況に置かれている人々ももちろん中にはいるのだが、隣人関係のトラブルを話してくれる人たちはどこか楽し気にみえる。団地に設けられたルールをはみ出してしまう隣人が、関係するはずのなかった隣人同士が関係するきっかけを作ってくれているのかもしれない。団地内には生活上のルールが設けられており、それを守るのが当たり前≒ある種の信頼から始まる隣人関係の中に、ルールから逸脱する隣人がきっかけで関係するはずのなかった人々の間でのコミュニケーションを介し、ルールとは別軸の妥協点を探しあっている。それは、すべての生活をルール内で完結していた時には発揮されるはずのなかった隣人同士の適応力が発揮されている。

タンザニアと保見団地、極端な事例の両者ではあるが、前者は誰かから与えられた住むためのルールや制限がほとんどなく住民は隣人を信頼しないところから始め、信頼の幅を自らの手で徐々に広げて良き隣人関係を築いている。一方で、後者はルールや制限がある程度ある中で、隣人はルールを守るはずであると信頼するところから始め、ルールからはみ出てしまう人に柔軟に適応しながらも隣人関係を作り出している。土地に根付く人々に相応しいルールを作ることが人々の関係性を形作るきっかけになっており、ルールを順守することに対して厳しくすればするほど知恵や適応力が発揮される機会もなくなり、生活が味気ないものになってしまうように思う。

保見団地では今、次々移り住む外国籍者との共生の在り方についてよく議論され、”ルールをより厳しくしたらいいのでは”ないかという短絡的な答えに賛同してしまう人が多い。一方で、現実に目を向けると高齢化と過疎化が進む中で外国籍者が居住しているおかげで団地として存続している側面も否めず、ルールを厳しくし居住への障壁を高めることより、まずは住民の知恵や適応力を信頼し、ルーツを問わず多様な人々を受け入れる土壌をつくることが団地を存続させるのに重要なのではないかと感じている。

 

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